「ババ・オライリィ(Baba O’Riley)」考察

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Baba

 

ザ・フーのスタジオアルバム「フーズ・ネクスト」の最初の曲、「ババ・オライリー」をフー・ファンの英語ネイティブ・スピーカー達と話し合ってみました。元々は他のブログに投稿したものですが、著作権の関係上、部分的に訳しています。

 

CDやレコードに付属する対訳やネットに散見されるファンの訳とは全く違うところもあります。

 

「ババ・オライリー」の元になっているストーリーや概要をこのページにも書いていますので、よろしければそちらも合わせてご覧ください。

実際の音楽に合わせて音の強弱をつけたり、文学的にする技術も才能もセンスもないため、ひたすらシンプルにしています。適切で神々しい表現があれば是非お知らせください。

 

元々のストーリー・コンセプト

汚染された近未来。人々は特殊なスーツで「グリッド(今で言うインターネットのようなもの)」に繋がれ、経験や他の様々なものを政府から供給されている時代。失われたロックを求め、覚醒させてくれるという噂のフェスティバルに行くため、ドロップアウトした主人公レイが、妻サリーとスコットランドから南へと向かいます。その途中にある荒廃した土地では、スーツを入手できない若者達がいて・・・。

 

Out here in the fields           

此処 この原野で

I fight for my meals          

食い物のため奮闘し

I get my back into my living            

暮らしのため歯をくいしばる

I don't need to fight 

争う必要はない

to prove I'm right              

正しいと認めてもらうために  

I don't need to be forgiven      

許しを請う必要もない

Don't cry                   
*Don't raise your eye                         

目を向けるな 

「eye」が単数。一つ前のcryと韻を踏んでいるのと、抽象的だが鋭いアティチュードが思い浮かぶ。

It's only teenage wasteland                

たかが10代の荒れ地じゃないか 

Sally, take my hand
           

We'll travel south 'cross land         

南へ向かって旅に出よう 

Put out the fire 
                    
*And don't look past my shoulder     

見過ごすな、俺の責任を

 

国内盤CD付属の対訳は「俺の肩越しに後ろを見るんじゃない」

 

多くの場合「『過去』は振り返るな」と「past」が「過去」と訳されているが、このpastは冠詞も所有格も付いていないことから前置詞で、"look past"と解釈しました。あまり辞書には載っていないものの、この"look past"は「miss」「ignore」「overlook」の意。"look past〜"は「〜」にあたる目的物が目に入っていなくて、それを飛ばした一つ先を見ているイメージ。「shoulder」も身体の一部=文字通りの「肩」に訳されているものが多いが、これは前述の「eye」と同じく、単数にし、前後の語尾に合わせて韻を踏ませていると判断。日本語でも「両肩」にずしりと重荷、責任がのしかかるように、「責任を負う力量」としました。ここは英語ネイティヴにも意見を求めてみましたが、「Lifehouse」に詳しいスコットランドのファンは同じ解釈。旅立ちにあたって、「俺が責任を持つ。その重荷を肩に背負っているんだ」というニュアンスを感じて頂ければ・・。

 

また、この一節は「ロトの妻(『決して振り返ってはならぬ』と言われていたのに、振り返ってしまったため、塩柱になった)」から来ているのではないか、という意見も「Lifehouse」の物語を知らないアメリカのカジュアルファンから頂いたところです。すなわち「振り返るな」説です(聖書で使われるのは「Don't look back」ですが・・)。それだと国内盤訳もしっくりきます。しかしその場合、サリー(女性)は主人公レイより背が高いか、高い場所にいないと、物理的に状況が成り立たないのではないかと、新たな疑問が湧いてきます。・・・2016年11/20追記:「抱き合っていれば可能」説が出ました。確かにそれだと「片方の肩越し」に「片目」でも見ることが出来るし、何よりも、「美しい」解釈ですね。

 

このように、リスナーによって何通りもの解釈ができるのがピートの音楽の魅力。英語ネイティヴ達と話し合うと、その数だけ違う解釈が出てきます。その場合でも、「past」は「over」や「beyond」の意味で、文脈によっては「過去」や「後ろ」をぼんやりとイメージさせることもあるけれど、名詞として扱うことはないようです。

The *exodus is here               

脱出する時だ

(旧約聖書:出エジプト記「エクソダス」=集団大移動を思わせる)

The happy ones are near              

幸せはすぐそこだ

Let's get together              

Before we get much older               
Teenage wasteland

It's only teenage wasteland   

           

Teenage wasteland  

                

Oh, oh

Teenage wasteland      
                           
*They're all wasted!                 

みんな、荒んじまったぜ!

 

「they」を「wasteland」と捉えて訳しているものが多いが、複数形なのとピート自身のインタビューから、この「they」は「teenagers」、転じて「普通の人々」のこと。

 

2010年ビルボード誌 インタビューより。 「(自らの)作曲には、政治的・宗教的主張を持ち込まないようにしてきたが、60年・70年代頃は、大衆が音楽に望む「ある種のスピリチュアルな要素」に沿って曲作りをする願望があった。例えばU2は、内なる自由への憧れを書くのにかなり成功しており・・・」という話の後で、ピートは以下のように語っています。billboard-9-jan-2010-2-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%92%e3%82%9a%e3%83%bc

「We're all wasted(なぜ「they」ではなく「we」なのかは、このページの7番」参照)」という歌詞を持つ「ババ・オライリィ」のような曲が意味していたのは、ただ、「We're all wasted(みんな荒廃している)」ということだけ。そこに今抱えているような「重要性」などなかった。現実として、機会を無駄にしてしまったことを、我々は不安に思っているんだよ。俺がその部分を演奏する時は、聴衆を代弁しているんだと思う、そう願っている」−ピート・タウンゼント

 

尚、「wasted」には「ドラッグでラリっている」意味もあり、アメリカ人がことのほか、ライブでこの一節を喜んで歌っているかもしれません。

 

ここではTSエリオットの影響についての推測は避けました。

 

とても有名な曲なのに一環とした解釈がない、聞き手の受け取り方に委ねられている・・・、フーの醍醐味を示す一曲であることは間違いないでしょう。


テキスト・画像の無断転載は固くお断りします

 


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